金髪の少女が気だるそうに立っていた。
抱えているのは黒猫
周りには此処界隈で割と有名な不良グループが、虫の息で山積みになっていた。
「…そこ、どいて。」
目の前でそう言われ、危うくそのまま本当にどけそうになる。
慌てて少女の腕を掴めば、鬱陶しそうに振り払われた。
「ちょっと待て、こんな時間に何をしていた?」
問えば少女は殊更に嫌悪で顔を染める。
「どいてって言ってるのが聞こえないの」
「…私は警察だぞ、君を補導対象として…」
「うるさいな」
少女は吐き捨てた。
「そんな立派な物つけてるくせに、貴方は何にも出来ないんだね。」
それが彼女との出会いだった。
それから、賑やかな繁華街に一つの噂が流布し始める。
”金髪の、猫を抱いた女に気をつけろ―――”
ある者はその忠告通りに身を潜め始め、またある者はその女を探し。
仲間が巡回で、折り重なる屈強な男共の躯を見つけることも増えた。
噂は噂を呼び、その女はその昔この繁華街で何人もの男に酷く犯され果てに殺された女の亡霊だという話まで流れている。
確かに、警察の仲間内で彼女の姿を見たという者はいなかった。
けれど自分は、あの日掴んだ彼女の腕の細さが嫌に感覚として残っていた。
彼女が亡霊なはずがない。
しかし自分もまた、あれ以来あの少女を見ることは無かった。
「ナジャ、悪いんだけど今日の巡回代わってくれないかな?」
同僚の言葉に、眉をひそめる。
「別に良いが…どうして」
「今日デートが入っててさ…「馬鹿じゃないのか」
切り捨てると同僚は懇願してきた。
「だってモルテがいきなり今日じゃないと嫌って言うんだよ!」
「キリエ、お前少しはモルテに頭が上がるようにならないのか。」
その同僚…キリエがその妻モルテに完全に尻に敷かれているのは身内では大分有名な話だ。
しかしあまりそれを問い正せないのも事実…かつては敏腕スパイ、そしてそれを辞めてからはこの繁華街のレディースの頭として名を奮わせ警察の頭を悩ませたモルテ・アーシェラの厄介さは十分すぎるほどに理解している。
むしろそのモルテを落としてレディースを辞めさせ(否、モルテはキリエとくっつくなりあっさりと自分から辞めてしまった)まあ大人しくさせたキリエには感謝してもし足りない。
「ナジャぁ…」
「…あぁ分かった、行って来い。」
「ありがとう!」
ぱっと顔を輝かせ制服を脱ぎ捨てる様にしてキリエが夕暮れの交番を出ていくのを横目に、ぽつぽつとネオンのつき始めた少し先の繁華街を見る。
「浮かない顔してるんだな青年」
「…トッピーか。」
「おいおいその言い方は無いだろう?頼まれたものを持って来てやったんだ。」
交番の白い壁に、小さな熊の影が映る。声はどこからともなく聞こえてきた。
「有難う。…それで?」
「まぁ待ってくれクマ。この件に関してはアガン坊ちゃんに助けて貰った節もあるんでな、ちゃんと礼はしとけよ?」
「アガンか。遊び回っている知事の令息も偶には役に立つ。」
「まぁそう言ってやるなクマ。で、依頼された女の話だが…」
トッピーの話と同時に、その声に被る様にして猫の鳴き声が聞こえてくる。
「おやおや、御客人か」
トッピーの声に入口を見ると、黒猫が我が物顔で此方へ向かってくるのが見えた。
「リ・ア=ドラグネール」
背後から声を掛ければ、あの日と同じように少女は鬱陶しそうに此方を見た。
「…おいで、ヤマダ。」
抱えていた猫はそう呼ばれると何の躊躇いも無く差し出された少女の腕の中へ飛び込んだ。
「…助けてくれなんて言ってないよ。」
「別に助けてくれと言われた訳じゃない。警察として不良は取り締まるものだろう。」
「警察が普通暴力振るう?」
「幼い少女に群がって傷害事件を起こしかけるような奴らには充分だ。」
それに、君が殺してしまう前に蹴りをつけたかったしな。
そう言えば少女はふうん、と傍の積み上げられたビールケースの上に座り、気絶した不良の山を見下した。
「リ・アのこと知ってるんだ。」
「危ない真似を。」
「クズ野郎は生きてても良いと思うの?」
「それがこの街だ。…なぜ此処に来た?わざわざ不法入国をしてまで。」
「リ・アを捕まえる?…良いよ、受けて立つ。」
「そんなつもりは無い。ただ、君の探している人は確かに此処に居る。…いや、うちに、と言った方が良いか。」
言った瞬間、少女の目が輝いた。
「キリエが、いるの」
「…あぁ。今は彼女とデート中だろうがな。」
「キリエは、リ・アとヤマダをあの最悪な所から助けてくれた。でもまだお礼をしてない。」
今となっては昔の事、とかつてキリエは笑いながら話したことがある。
警察になる前、自分は傭兵をしていたのだと。そこには現在の知事の息子、アガン・マードルもいたと聞く。
その途中、そもそも傭兵になど向かないキリエの性格も災いしてか、ある国のある町の奴隷市場をぶっ壊したのだという。
そこに居たのが、黒猫を抱いた旧帝国の王家の血筋を引く、まだ幼い皇女。
トッピーが語った金髪の少女の正体は、それだった。
「キリエを待つか」
「うん。どうせ此処に居てもロクな奴がいない。それに、」
少女が片手を自分に伸ばす。若干の頬のかすり傷を指でなぞられ、少し顔をしかめた。
「ヤマダが連れてくるなら、きっと貴方は、悪い人じゃない。」
「ねぇわんわん、」
「…なんだそれは」
「無力な警察の犬だからわんわん」
「…おい、」
「前は何もできないって言ったけど、大丈夫、犬は牙を持ってるから、貴方はまだまし。」
「…まるで竜だな、その傍若無人さは。」
「リ・アは犬も嫌いじゃないよ。」
さも可笑しそうに少女は笑う。
暫くはこの少女と話していられるだろう。
携帯を開けばメールが入っていた。ただ一言、「ごめんおそくなりそう」
キリエが戻ってくるのは、何時になるか分からない。