鼠がさっ、と路地裏を駆ける。
あまりに目障りだったので消してしまおうと思った。
胸元から黒光りするトカレフを取りだす。
鼠は一向に姿を現さない。
にゃぁお、と甘ったるく猫の鳴く声が、夜の路地裏に響いた。
「っ、糞!」
「撒かれんな!どうせそこら辺にまだいんだろ!?」
「向こうの廃ビルで3人やられた、」
「相手は一人だろうがぁ!さっさと探して殺しちまおうぜ!」
夜のネオン街の裏側。
煌びやかな世界には必ず裏がある、それも真っ暗な。
「…馬鹿らしい。」
奴等の所から拝借したメモリースティックをナイフで突き刺す。
金属の外殻がひび割れて、貫通。
もうデータなど壊滅しているだろうそれを更に2つに折って腐敗する生塵の山に捨てておく。
中身は全部頭の中に入っているが大した事では無い”単なる”機密情報。
外から怒声が聞こえる、そして発砲音も。
可哀相に、俺に似た男が何人か犠牲になっているに違いない。後で見掛けたら拝んでおこうか。
…そんな事を考えているうちに空が白んできている。
とある廃ビル一階、弾の消費は5発。結構気分が良く、欠伸が自然と出た時だった。
「いらっしゃいお兄さん、…アタシの初めて、いらない?」
突然の声にさっと振り向けばそこには
明るい緑…黄緑色の髪をした少女が笑顔で、立っていた。
少女は制服姿だった。
あぁ、この制服は確かあそこの学校だな、と思いを巡らす
このネオン街からそう遠くは無い学校であるから、決して風紀も良くは無いと聞く。
しかしどうせ”そういうこと”をやるのならまずは”そういう”店で働くべきだろうし、
”初めて”などというものはこんな所で投げ売りするのではなく例えばチンピラ風情の彼氏だとか、
運も悪く薬漬けにさせられた果てに仕方なくだとかそういうことに差し出すものだろう。
「お兄さん能無しじゃないんでしょ?だったら買わない?」
まぁ、くだらないか。
少女がこんな所に居ようが居まいが関係の無いことだと思いなおす。
追手の声ももう聞こえない。帰って寝てしまおうか。
「お兄さんってば。」
「黙りなさい」
至近距離5mまで近付かれた所で、手に持っていたトカレフを少女の脳天に突きつける。
「いらないならちゃんといらないっていってくれないと困るんですよ。」
「いりません。」
少女は一瞬つまらなさそうな顔をして、大人しく下がった。
「ねぇお兄さん」
銃を突きつけられたのに黙らないのは少女の肝が据わっているからなのか、それとも少女の学習能力がないからなのか。
どちらにせよ面倒なことに変わりは無い、もう出ていこうか。
「なんでアタシの事何者か訊かないんです?」
「…興味がないからですよ。」
「ふーん…アタシはお兄さんに興味あるな。」
「…貴女、ここで商売するつもりですか?」
「商売?」
少女の方を向きなおす。
「体を売る商売、ですよ。」
「うーん…そのつもりもあることはあるかも?」
「だったら一つ良い事を教えてあげましょう。」
少女に近づいてその腕を引く。
「物事を深く詮索しないことです。この様になることも、少なくないですよ?」
少女を抱え込んで、今度はその頭に直接トカレフの銃口を当てる。
冷たく硬い感触はきっと少女に伝わっていることだろう。
「お兄さん、」
顎に少女の指が当たる。
「バンっ」
少女はその指で銃の形を作って俺に向けて言った。
「…」
「アタシ今一つだけ分かっちゃいました、お兄さんの事。」
「お兄さんは、イイ人。」
少女は微笑んだ。その笑顔で、何故か俺は少女を打つ気力が失せてしまった。
「おい、いたぞ!」
しつこい追手がこんな所まで来ていたらしい、
溜息を吐いて少女に向けていたトカレフを追手に向けた…所で、銃声がして追手の男が後ろに倒れた。
追手に呼ばれた仲間らしき男などは入口の前で絶命する。
そういえばこの廃ビルには何体も死体が転がっているようだ。
少女の手の先から昇る紫煙が鼻の奥を刺激する。
「アタシ、ねむくなっちゃいましたよお兄さん。添い寝してあげましょうか」
「勝手に寝てればいいじゃないですか。」
そういえば最近、大手の裏企業が幾つか機密を盗まれて騒がれているという事を聞いた。
追われているのは黄緑色の髪の若い女だという。
「安いですよ、二万。それでこんな美少女と寝れちゃう。」
「それは安いとは言いません。」
「お兄さんも眠そうだったし、もしかしたら添い寝してあげてる間にむらむらっとそういう気が起こって」
「起こりません」
「晴れてアタシの初めて完売!ってことになればほら、一石二鳥。」
「…君、」
「はい?」
少女はニコニコと、何が楽しいのかも分からないのに笑っている。
成程、そうしていれば可愛くないこともないかもしれない。
「名前は?」
「アタシの名前は、グミ。」
さらりと言う少女の顔は、嘘をついている様にも見えなくも無かったがそんな事はどうでもいい。
「…私は帰って寝ます。」
「じゃあ添い寝要員もお兄さんのお家へ伺います!」
至極当たり前のように少女はぱたぱたと俺の後をついてくる。
その表情は鼠のようにも猫のようにも見え、
そして結局俺は彼女の言葉に、何も言いはしなかった。