たとえ世界が神の加護を再び受けれるようになろうと、この世から戦争がなくなることは無い。
そして今日もまた僕は戦場に赴く
…聖なる今日の、この短い夜だけは
誰にも平等だということを知らせるために。
簡易治療所の夜は、かなり騒々しい。
いつもは口煩い上官でさえ今日は寛大なようで
それは戦況が上々だという事もあり、高まる士気を削ぐべきではないと解っているからだろうか。
従軍牧師という職に就いている自分にとって、どうしても外せない日というのが今日であり
駄目で元々と上官に頼み込んでみたらあっさり快諾。
まぁ兵士の中にも信仰心の篤いものとそうではない者がいるという結果、その割合もやっぱりな結果になり
このようなお祭り騒ぎ状態な治療所とどうにも手持ち無沙汰な自分という図式が成り立ったわけである。
治療所は以前から教会と兼用で使われており、これでは教会を目当てにきた兵士ですら祭りのほうへと半ば強制的に引き込まれていくわけでどうも納得はいかないのだが。
…そうしてそんななかで、あろうことかクリスマスの日に暇な従軍牧師は、祭りの喧騒に加わろうともせず一心不乱に銃の手入れをする一人の傭兵を見つけるに、至る。
「…いいんですか?」
「……」
後ろで結われた長い黒髪に、手入れされた頬と顎の髭、額には生々しい大きな傷跡。戦場でもその銃の腕は確かで、果たしてこの男はどれほどの人間を殺してきたのかと思う。
しかし良く見れば28となった己とさして歳は変わらないようだった。
「皆さんは向こうで楽しんでらっしゃいますよ?」
「…貴方は確か、従軍牧師だったな。貴方こそ行かないで良いのか?牧師がこんな所に居ては職務放棄だと揶揄されるぞ。」
男は相変わらずこちらの方を向きもせず銃の手入れをしつつ言う。
「残念ながら治療所では私はクビの様です。」
「そうか。」
男は黒光りする銃身を丁寧に拭き、一つ息をついた。
「ここでも私はクビですね。…貴方はどうも、神を信じたいと願う人では無さそうだ。」
「そうみえるか?」
「……えぇ。」
持っていた銃身を広げた布の上に静かに置き、男は初めてこちらを向いた。
「貴方は――死にたくない、死から救ってほしい、と神に願うよりむしろ”死ねない”という確固たる決意を持っているように見える。」
そう言うと、男はその硬い表情を少し崩して
「表に出していたつもりは無いんだがな」
と呟いた。こちらを見据えたその瞳に迷いは無く、生きる意味をもつ者の目だと思わされる。
「戦場に生きながら、死の恐怖よりも超える何かを持つことはだれもが出来る事じゃありません。だから分かりますよ。確証は無くても。」
「…凄いことだ。」
「もし良ければその決意の理由を教えてもらえませんか?これは私…いえ、僕個人の頼み事ですが。」
男の隣に座り、背を木に預ける。男は言うべきか迷っている様でもあり、また言うことを恥じているような様子も伺えた。
「強要はしません。誰しも人に言えることばかりを持っているわけじゃありませんし。…というより、素性のわからない物に自分の思いを話せというのも問題ですね。
まず僕の話からしましょうか。」
自分の身の上を他人に話すことは滅多にしないはずだった。
しかも相手は名も知らぬ傭兵。それでも、口を衝いて出た。
「僕は巡回牧師の両親の元生まれました。しかしその両親は早くに病で他界して、僕は小さい妹を連れて聖都へと行ったんです。妹は神学校で優秀な成績を修め、今は尼僧となっています。
僕はというと、神学校を出た後すぐに王都・テノス間の戦争に誤って徴兵されて、徴兵先でそれが分かり成り行きでそのままそこで従軍牧師として働く内に兵士の心の平穏を願う事こそ我が使命、と思うようになりました。」
「貴方はこの血で溢れかえった戦場をおぞましいとは思わないのか?」
「…忌むべくは人の心の闇。戦場にはそれが集まっています。それから眼を背けるのは闇を擁護するのと同じこと。それはできない、僕自身は。」
「その目の前にいる俺は、闇を援護するも同等の事をやっているわけだが」
「神とて常に目を光らせて罪人を探しているわけではありますまい。」
「…おかしなことを言う。神の使徒は目の前も見えぬと申すか。」
男が可笑しそうに顔を緩める。それは非難も呆れもなく、本当に可笑しいのだという笑い方だった。
「…さて、僕の事はそれくらいでしょうか。宜しければ、貴方の事も…少し、話してくださいませんか?」
「…俺は、根っからの傭兵人生を歩んできた。その経緯はどうでもいいだろう、その頃は俺もどこかしら、死を恐れていたと思う。今でも恐れるべきことに変わりはないが――」
「死ねない、と?」
「そうだな。死ねない…彼女が生きている限り、俺には彼女を守るべき義務がある。」
「ずいぶんとまた、ロマンチックな話に聞こえますね。」
「笑ってくれて構わない。」
「…彼女、はどのような人なのですか?傭兵にそこまで想わせる女性は僕の見た限り家族か、それと同等に共に過ごしてきた期間の長い人に限られていました。…それでなくば、依頼人、護衛すべき人間か。」
男は少し、今度は少し影を持って、ふと嗤った。
「彼女は、貴方と同じ…聖職に就いている。当初は顔も見知らぬその女性を、半ば誘拐するような内容の依頼を受けていた。」
「聖職者を誘拐とは、なんとも物騒な事で。」
「依頼者の目的は聖職者ではなく”彼女”だった。仕事は絶対、契約は遵守すべきものだったが故、誘拐じみていた所でなんら気にはしなかった」
そこで男は少し過去を懐古する様に目線を上にあげた。
「すると彼女は持っていた途方も無く高価な銀飾りを惜しげも無く差し出し、…それは信者からの寄付だと後に言っていたが…逆に俺に自らの護衛を依頼した。それは単に自身の保身の為だけではなく、側に居た子供等を救う為だったのだとも分かる。」
「聖職者の鏡のような方ですね。」
「…そうなのだろうか?俺はもっと融通の利かない、何かあれば神へ縋り神へ祈り神を尊ぶのが聖職者と思っていた。その時も。」
所謂”聖職者”の名に付随する偏見に苦笑する。
「僕達とて、信者からの信仰が無ければこの職に就きようがありません。訳も無く神の名を振り翳すより、その女性の様に信者の方から頂いた物を、他の人間を使う為に使用する、そんな人間こそ真に聖職者たり得るものでしょう。」
「彼女も同じような事を言っていた。…まあ、彼女の場合彼女自身強かな女性だったからな、時に尼僧にあるまじき言動をしていた気もする。」
「是非会ってみたいですね、その女性には。…僕と気が合うかもしれない。」
ふと男を見れば緩く弧を描いた口元が目に入った。
「契約はとうに切れた。…が、切らせたくない契約という物もある。現に、彼女から貰った品はまったく契約金の代わりにならない。」
「素晴らしい品、なのにですか?」
「…契約してするものではないだろう、好いた女の護衛など。」
僅かに赤い男の顔を見て笑いそうになる。
冷え切った空からはガラムでは珍しく
深、と真白の雪が降り落ちてきていた。
 
 
 
 
拝啓 親愛なるたった一人の妹 アンジュ セレーナ 様
元気にしていますか?僕は今ガラムの戦地に居ます。
君は今テノスに居るそうだね、いつか会いに行きたいと思っているよ。
そう、今日はクリスマスでしたが、いい日を過ごせましたか?
僕は最高の日でした。
とある傭兵に出会ったんだけど、その人は以前護衛をした聖女様の事を未だに思い続けているそうだ。
戦場で彼は彼女のために死ねない、と言って戦っている。
自分が死んだらいつかまた彼女が危険にさらされた時、誰が彼女を守るんだ、とね。
そんな人に出会えたことを僕は本当に光栄に思うよ。
それじゃあ、くれぐれも体調には気をつけて。それから、少しは運動をした方が良いよ。毎回言っているけれど。
では。
精一杯の愛情をこめて
兄より