自分がとっくの昔におかしくなっている事は気付いていた。
だから、その男の狂気に触れて私はむしろ救われたような気さえする。
愛されていると思える間なら
私は恐らく、生きていられる。
戦場で見かけたその男は、気付けば偶に此方を見ていた。
それは同じ雇われ兵へ向けるある種の親近感なのかと(それでも、殺すことを躊躇う様な人種ではない事ははっきりと分かった)
そう思っていた。
短く刈り込んだ桃色の髪も着込んだ白のレース付きの赤い服も手にした紅の槍も、戦場では無論異色で、またとても目立つ。
もし他の者があんなに目立てば即刻命は無いだろう。
けれどその男の気味が悪いまでのその極彩色は、例えるなら毒蛇の様な
私達の様な無力で喰われるだけの生き物へのせめてもの情け、
”俺には、毒がある”と。
甲高い笑い声が響けば兵たちは逃げ出したものだったが、
私はよくその声に聞き入った。
声も容姿も戦法も全て異なるその男に、
かつての主を重ねたのかも、しれなかった。
押さえつけられた首に、槍で縫いとめられた手
足の腱は切られた、それも何回となく。
連れてこられた部屋は真新しい部屋で
それでも此処が何のための部屋なのかは容易に想像がついた。
男の狂気の眼は私を舐め回し、その口元の笑みを深くさせる。
こんな笑い方ができるのだと初めて知った。
血を被った男の顔は美しい。それに気付いたのは何時だっただろう。
野性的で鋭く、死の恐怖すら越えたかのような不遜さ
亡くしたかつての主と同じ
否、それ以上に己の欲に忠実な
その男が見つめ、抱くのは私ただ一人
かつて私の焦がれた主と違う、
私を置いてあの女と逝った主とは、違う。
かつて主に仕えていた時から周りに実しやかに囁かれていた
私と契る者は短命になる、と。
きっとそれすらこの男は知らないに違いない。
そして知っていてさえ、だからなんだというに違いない。
かつて私を拾った、あの主と同じように。
私はこの男に謝らなければならない。
主の居ない世界で生きる場所をくれたこの男に
傍から見れば狂っている、そんな愛し方しかできないこの男に
手足の無い私の背に顔を埋め、「愛しているよ」と幾度となく語りかける男に
恐らく私が彼を彼として見ることは無いに違いない
それを彼が許そうと許さなかろうと
私は彼に、かつての主を重ねることしか、出来ない
彼を愛せば、愛すほどに。
いつか私が彼を彼として見る時がやってくるなら
それはきっと、彼が私を殺す時
彼が私を愛す事が出来なくなったその時にきっと
私は、彼を見つめて、「愛している」と
彼とは似ても似つかない主を忘れ
言う事が出来るに違いない。