男の命はもう長くは無い、と銀色の青年は悟った。
男の息は荒い、全ては自分の所為だった。
驚異的な治癒力を持つΣの能力者の中でも殊更に再生能力の高い彼が蒼白な顔で自分にもたれかかっている。
無表情を装ってはいるが、それは酷い痛みに苛まれているに違いない。
それらも全て本来ならば己が受けるべきもの、だった筈だった。
そしてその位の覚悟は自分にだってあったのに、この男はその身を挺して自分を庇った。
その事実が苦しくも悔しくも、そして腹立たしくもあった。
感染者の巣窟に行く事のリスクは理解していた。それでも己の血がそうさせるのか、そのリスクを避けようとは思わなかった。
今までだってそう、一度死んだこの身なのだから、幾度死のうとて変わりはしない。
だから以前も今回も行動を起こした。…誰にも伝えなかった単独行動、形はどうあれ始まりも終わりも独りの筈だった。
それなのに、その男には何故か毎回それが知れていた。
毎回行った先の廃屋で待っていたのは殆んど虫の息の重度感染者の山とその男の影で
そうでなければ苦戦している所にさっそうと現れて全てを喰らい。
そして必ず彼が俺に言うのは、「全て俺に任せればいい」の一言
それが嬉しくもあった、けれど本当はそうであってはいけなかった。
着いた先は街外れの廃屋、今にも崩れそうな。
そこにオリジナルの広めた多くの感染者がたむろしていると云う。
既に確認は済ませた、ノーラからは彼が来るまで待てと言われていたが、もとよりそんなつもりは無い。
…これは俺の、エゴだ。
正義じゃない、正しい事をやっているつもりもない。感染者を削ることは自分のただの利己主義のなれの果て。
それに他人を巻き込むことがどんなに悪い事か自分は知っている。
彼の気配は無かった。あるのはただ、イカれた感染者の狂った思念の塊だけ
本当は削る力など欲しくは無かった。
自分も彼の様に喰らう力が欲しかった。
弱い削る力など要らない、サイレントの全てを殺せる喰らう力があればどんなにか良かった事か
突入した先には予想よりも多くの感染者がいた。
通信手段は切っておいたからオペレーターから文句を言われる事もない。
…俺は静かにガウェインを発動させた。
一瞬の出来事だった。
銃の乱発、それに気付くのが刹那遅れた。
30発、いや50発は越えていたように、思う。
気付けば目の前にはいつも見慣れたあの漆黒の瞳があった。耳元ではピアスが妖しく光っている。
彼は一瞬顔を歪め、そしてマシンガンを持つ感染者達の方へ向き直り、見えなくなった。
……その後は、それはもう凄惨だった。
恐らくは、全員が死んだのだろう。呼吸も思念も何も捉える事は出来なかった。
無論彼に喰われてしまえば思念が存在する筈は無いのだが。
彼は暗闇の中からゆらりと現れると、崩れ落ちた。それを支え、急いで連絡を取ろうと端末を取り出し…しかし彼の手がそれを許さなかった。
大きな手が俺の腕を握り、彼は「するな、」と一言言う。
自分の端末も取り出し、その電源を落とした。
彼は見るからに憔悴しきっていた。
背には無数の弾丸、即死しなかったのは彼の肉体の頑強さとその能力があってのことか
それでもそう、彼はもう長くないだろうことだけははっきりと分かった。
「劉、どうして、俺を庇ったんだ」
ぎり、と唇を噛めば血の味が口腔に広まった。青年は続ける。
「あれは俺の単独行動だ、…お礼は、言えない」
「お前は、無理をするからな」
男は薄く笑う。
「アンタは死んで良い人間じゃないだろ!」
青年の言葉に男は返す。
「それはお前だ」
男の焦点が合わなくなっていっているのが青年には分かった。それでも会話をつづけているのは青年を安心させる為か。
段々と支える肩に掛かる体重が重みを増してくる。
青年は端末を再び取り出す。きっと彼女が男の消えそうな思念を捉えている筈だ。
「…アツキ」
分かっておけ、と男は青年の端末を抑えつけて言う。
「俺が死んでもアイツには何の影響も与えない―――――」
男の言うアイツ、が青年には理解できなかった。
青年には彼が全てを捨てようとしているようにしか見えなかった。
そしてそれを強く、自分が死んでも良いと思うより強く、望んでいる様にも。
「だがお前が死んだらアイツが悲しむ、だろう?」
最後そう言った男の最後の笑みは、青年が今まで見た男のどの表情よりも”人間”で
彼は未だ目覚めない
それを負うなと誰もが俺に言った。それでも俺がそうできないのは
彼が自分の死ならば何も影響を与えないと、そう言った彼女が
俺の無事の帰還を誰よりも喜び、安堵してくれた彼女が
人工太陽の中で静かに立ち尽くしてただ無言で、その感情豊富な顔を無表情に染めて
何物でもない、窓の中の目覚めぬ彼を見続けるのを
見てしまったからだろう、か。