質素だが単体をみれば値の張る調度品が幾つもあるその部屋に劉毅は呼び出されていた。
所長室、その部屋の主は彼の目の前で黒い革張りの椅子に腰掛けコーヒーを味わっている。
「…今回の案件で何か問題でも起こりましたか?」
何も言わないレイに劉は問い掛ける。レイは微笑んで、「まぁ座りなさい」と劉に椅子を勧めた。
「たまには劉と昔話でもしようかと思ってね」
レイは微笑んで劉を見た。劉はと言うとそれを聞いて眉を顰める。劉の口調が少しばかり、変わった。
「気まぐれな人だ」
「私は昔からそうだっただろう?」
「さぁ、貴方の“昔”を知るほどには俺は年を取っていませんから。」
「昨日を昔と呼ぶ人もいる、君はそうではないのかい劉?」
「貴方の昔を知ろうと思ったら俺の人生を3回廻した所で追いつかないでしょう」
肩をすくめる劉にレイは笑った。彼はこの男のこういう所が好きだった。
「そのコーヒーは君の為に先程淹れたんだ、飲んでくれると嬉しい。」
それを聞いて目の前に置かれているブラックコーヒーに手を掛け、劉は飲み干す。
「…君はとても、変わったね」
その様子を見てレイは眼を細めた。
「出会ったのは…FORTを作って間もない頃だったかな?」
「能力者を是が非でも見つけたかった貴方でしたから、どこかでそういう噂を聞けば直ぐに向かったのでしょう」
「中国に腕の立つ若き殺し屋が居るとはかねてより耳にはしていたんだ。そこに虎軍団の息が掛かり始めていると聞いて、是非会いたくなった。」
虎軍団、ルクスペインの能力者には及ばずとも「心を喰らう」事のみに焦点を当てれば誰も防ぐ事の出来ない恐ろしい集団。
狙われたが最後彼らの手を掻い潜って生きて逃げ遂せた者は虎軍団の長い歴史の中でたった一人しか、居ない。
「死にぞこないを良く拾おうとしたものです」
「彼らの言葉を聞いたら興味が湧いてね―…”奪うべき心が存在しなかった”と彼らは口を揃えて言っていたよ。」
かつて虎軍団の頭領を殺す任務を請け負った弱冠十四歳の少年は、返り討ちに逢いながらも生きていた。
マインドクラッシュ、常人ならば能力者達の侵入によって狂うほどに壊される筈の精神が、心が、元よりその少年には欠落していたと云う。
「気が付いた時には既にこの手を人の血で染めていました。そうなれば揺れ動く感情など、何処にも無い。」
「だから彼は面白がって君を手元に置いておきたがったのだろうね。…今でもFORTに二カ月に一度は君を返せと催促の手紙が送られてくる。」
それを聞くと劉は苦い顔をして少し目を伏せた。彼…虎軍団の頭領、かつて自分が命を奪おうとしたその人の顔が浮かぶ。
「あの方には感謝しています。…が、どうにも言う事を聞いてもらえない。」
「それだけ君が愛されていたという事だろう」
「あの時俺に愛がわかれば良かったのでしょうが。」
少年は4ヶ月あまりの月日を虎軍団で半ば強制的に過ごさせられた。
そして、運命の日がやってくる。
「貴方がやってきた時、俺は仏でもやってきたかと。」
「…アツキは私を天使と言ったよ」
「…違いありません。」
ふっ、と笑う劉はあの時を思い出す。目の前の男は拉致まがいの事をして自分を此処へと連れ込んだのだった、と。
「君ならば最初の適合者になれるだろうと思っていた。」
「…そう言って何人の血をこいつに吸わせてきたのですか?」
劉は自分の左耳で輝くピアスに触れた。
「適合者を選んだのは私ではない、ランスロットだからね。」
「良く仰る」
そう言いながら何処か可笑しそうに口の端を上げる劉を見て、レイはこれが心の無かったかつての彼の未来かと疑いたくなった。
「…そんなに見ても、何も出てきませんよ」
そう言われてレイは劉をじっと見ていた事に気付く。こう言っては彼に怒られるかもしれないが、見つめていられる位に彼は美しかった。
傲慢で欲深い自分の性、だろう。
FORTを見渡せば外見も込めて美しい、と世間で評される者が多くいる。それは無意識下での己の働きかけなのだろうとレイは思った。
それに反せず、否常を越えて、彼もまた細身で整った顔立ちの美丈夫である。
「俺が変わった…と先程言っておられましたが」
漆黒の瞳と薄翠の瞳が一点で交錯する。
「強いて言うならそれは貴方のお陰でしょう」
「…」
「少なくとも他人の居れたコーヒーですら疑惑と猜疑を持たずに飲み干せるくらいには、貴方は俺を変えた。」
無論人にはよりますが、ね。
劉は座っていたソファから立ち上がり、ドアへと向かう。その様子をレイは引き留めるでもなく見ていた。
「劉」
劉が所長室のドアの取っ手を回す瞬間、レイは彼を呼び止めた。
相も変わらず黒い革張りの椅子に腰掛けたまま彼は言う。
「愛しているよ」
しばしの沈黙の後、劉はゆっくりとその体をレイの方へと向けた。
その言葉を紡ぐ口元には、普段ならば彼が決して見せる事のない、深い笑み。
微笑んで「私もですよ」、と一言
その言葉の真意ははかれない。
それは両者ともに同じ事で、けれど両者ともにはかろうとも思いはしていない。
所長室を出、廊下を歩く劉の顔は冷たいスイーパーのそれに取って代わっていた。
どちらの顔が彼の本当の顔か、レイにすらそれを知る術は無い。
ただ、最後劉が振り向いて躊躇いなくその言葉を紡いだ事だけで、それだけで彼にとってはあまりに十分だった
――――無論これは彼にとって数百年の人生のうちの、ほんの一瞬の愛しい時間の懐古に過ぎない談話、なのだから。