その人の心が少しずつ、それでも着実に壊れていっていることに



誰よりも早く、その事実を知ったというのに




…私は何時から気付かぬふりを、し続けていたのだろうか。










暗闇の中の鬼のような形相


私はきっとそれを生涯忘れない。


赤く充血した瞳に、彼の本来持っていたはずの冷静で冷徹な深みを帯びた黒い瞳は窺えず、今の彼の黒い瞳はまるで見たものを闇に引きずり込むかのような残虐さを湛えていた。


口元だけは、それこそ有り得ない、狂気の優しさを持った微笑みを表す。


緩やかに進行したのはサイレントだったのか、それさえ私たちには解らない


ただ彼の豹変が、どれほど恐ろしくどれほど絶望に近くどれほど私たちを立ち竦ませたか。


誰かに対処できるような人だったら、これが彼では無かったら。


彼の足下には、それでも高い能力者達だった屍が、幾重にも折り重なっていた。












おかしい、そう思ったのは何時だっただろうか。


確信も、確証も無かった。けれど何かが変だと


それは今なら解る、大きな変化


光の中に居ることが多くなっていった彼の心には、果たして幾らの闇に対する恐怖があったのだろうか。


闇の中に居る自分が、変わってしまったことを彼が誰より理解していたのだと思う。


そしてその次にそれに気付いたのは、私だった。


「非日常」それでさえも、時がたてば「日常」に成り替わる。


だから、あの時感じた「何か」を、私は忘れるべきでは無かったのだ。








彼が闇を少しずつ避けるようになっているのにも、私は気付いていた。




「リュウ・イー、貴方どうして自室に戻らないわけ?!」


「俺がここに居て何かお前に不都合なことでもあるのか。俺には自分の任務の動向を少なくともお前以上に知る権利くらいあるはずだ。」


至極当たり前、とっても正しい、それは正論。


「でも今貴方の欲しい情報は用意できないの!今ナツキはアツキのサポートをするので手一杯なんです!」


「別に誰もお前に用意しろとは言っていない。ノーラは居るか?」


「ノーラは所長に呼ばれて所長室です!」


「ならばいい、資料を頼むと伝えておいてくれ。」


「自分で言いなさいよーっ!」


絶対資料できても、届けてなんかやんないんだから、


そう付け加えると、


「届ける必要はない、自分の資料くらい自分で取りに行く。出来たら呼べ。」


いつもの様に知れっと言い放って、自分の部屋に戻っていく彼の背に、私はまた「何か」を感じていた。





「えぇえぇ?!嫌です!ナツキは絶対アイツの部屋になんかこんなもの届けに行かないんだから!」


「ナツキ、お願いよ。リュウっていつも呼ぶと何かと文句つけてくるし、…正論だから言い返せないし、今回も彼色々始末書問題起こしてるから私が顔合わせるのって嫌なのよ。」


「でも、アイツ自分で”届ける必要はない”、”出来たら呼べ”って言ってたのよ!!!あのムカつく声で!」


「ナツキ、お願い、貴女今一応暇でしょう。」


「うっ…ナツキちゃんはアツキのサポートで…」


「今アツキはサポートの必要はないわ。5分もかからないんだから、行ってきて頂戴。」


はぁ。


そうノーラは溜息をついて、付け足した。


「今日のブリーフィング、時間の許す限りアツキと喋らせてあげるから。」







FORTの人々の自室は、かなり奥まった所にある。


地下にあるFORTは、明かりをあまり点けなければかなり暗い。


特にこの時、多くの能力者はそれぞれ任務に就いていて人気も少なく、技術室近辺の喧騒とは打って変わって静かな暗闇が辺りを漂っていた。


静かな廊下に響く水の音、私は少し震えながら、彼の部屋へ向かっていた。


「…ナツキ?」


キュ、と水道の蛇口を捻る音と、誰かが自分を呼ぶ声が重なる。


「ぇ…?」


蛇口から手を離した影は、音を立てず自分に近づいてくる。


ぐい、と腕を引かれたのと、自分の目が相手の目と合ったのとは同時だった。


「…リュウ・イー…?」


下ろされた漆黒の髪から滴り落ちる水滴


合った眼は廊下の暗がりより深い黒


不覚にも、動けなくなった。


「あぁ…資料か…?」


「そっ…そうよ!優しいナツキちゃんがリュウ・イーなんかのためにわざわざ、」


「早く行け。」


掴まれた腕が払われ、背を向けられる。


「なっ、何よ!」


「良いから資料を置いて早く行け!」


威圧感を放出しながら彼は叫ぶ。


「どっうしてそんな言い方にしかならないの?!持ってきてあげたのに、」


彼は振り向き、黒い瞳でこちらを見据え、近づいてくる。


「解らないのか?」


いつの間にかその瞳は、黒の中に蠱惑的な色を浮かべていた。


「……俺は、壊れかけている。」








けれど、私はその事を誰にも言わなかった。


…違う、言えなかったのかも知れない。


あんなにおかしくなっていっているのを見ても、それでも私はその瞳に取り込まれていた。


彼が闇に取り込まれていのを恐れたように、私もまた彼の瞳に取り込まれるのを恐れていたというのに。





「ナツキ、」




「お前が刃を向ければ今きっと俺は死ぬだろう。」





暴走直前に彼が私に握らせた手に収まるくらい小さな銃は、何より重く今の私の手に圧し掛かり







       

―――遅  す  ぎ     結  末    

       





かたかたと震えるのはこの手とこの腕とこの足と


それでも焦点は一点を逃さない





そして紅く染まる部屋の中、引き金を引いた瞬間見えたのは





部屋以上にその体を紅く染めた彼の瞳が閉じて



優しく笑った―――例えそれが狂った彼なのか、本当の彼なのかは分からなくても―――







あまりに早過ぎて、




そしてあまりに全てを尽くすのが遅すぎた結果の





彼の、最期の姿だった。



後書き

終了です。いや、ナツキが取り付かれる話を書いたんだったら劉もアリだよねっていう安直な。
怖いよね実力者が狂気に晒されるとか、誰も対処できねぇよという。
多分FOATは死屍累々です。劉はその上で微笑んでればいいよ、ナツキに向かって。わー、イカれてるー←
そしてナツキの手に収まるくらいの銃なんてあるのかっていう。あると思うよ。でもそんなんで劉は死ぬんだろうか。不明。
ニュアンス的には死ネタって同じようなの多いんですけど、マンネリ化しちゃうとつまんないし飽きるし大変だからどうにかしなきゃですね。
…そんな簡単に銃撃てたら苦労しないんだけど。わかってるよ。うん。
というか子供に自分を殺させんなって感じ。書いててあれだけど。
そんなん歯止めきかなくなる前に自分でどうにかしろよと。
それが普通ですよねー…小説の成せる業だと思って見逃してやってください。