その街にはしとしとと降り止まぬ雨が続いていた。
そして少女は一人、街の入り口に立ち
その泣きそうな顔で、空を見上げた。
…今回もまた、死人が出た。
ナツキ・ヴェネフスカヤは水溜りを蹴り上げ、唇を引き結ぶ。
…今回もまた、危なかった。
傘に当たる雨の音が彼女の聴覚を埋め尽くす。
…見当たらない。
目を閉じて、たった一人の思念を見つけ出すためにビューイングを行う。
彼女の額には雨の雫ではない汗がうっすらと浮かんでいた。
FORTで感じた消えた思念は彼の物じゃない、それは断言できる。
…どこに、いるの?
穏やかな思念が街中に溢れていた。彼がオリジナルを喰らったお陰で、この街の感染率は今のところ0%に戻っている。
…いない。
もう街を出てしまったのだろうか?ナツキは更にビューイングの精度を上げる。
雨の街には人の気は殆ど無い。気圧の低さに負けた燕がつい、と傍を飛んでいく。
…あの燕なら知っていたかもね。
いっそのこと傘を投げ捨ててしまいたい気持ちになりながら、ナツキは焦りを抑えて街を歩き回った。
石畳の地面に赤レンガの家。
美しい街並みだとモニター越しにノーラが言っていたのをナツキは思い出した。
その美しい街並みのどこかに彼はきっと居る筈だ。
”ナツキ、見つかったかしら?"
「全然よ。まったく、どこで倒れてるのよアイツは!」
”ごめんね、別働隊PICUSがそっちにまで手が回らないの。
ペンタゴンに突っ込んだテロリストがオリジナル感染者らしくて、しかもオリジナルがそこに大集結してて…
本当なら彼にもそっちが終わったら直ぐに行ってもらう予定だったんだけど…”
――――連絡がつかない。
ノーラ・デーべライナーが苛立った様子でそう言ったのが3日前だった。
ナツキはその時またか、と思っただけだったのだが、どういう因果か自分がこの街に居る。
彼のパートナーは既に死亡が確認された。遺体もFORTに上がってきている。
しかし、PICUSが出来たのはそこまでだった。
彼は何処にもいない。
けれどナツキは彼は生きているとその場で言い切った。
トリスタンは、確かに彼のΣ”ランスロット”が彼と一緒に居ると、ナツキに示していた。
…トリスタンは、分かる?
ペンタゴンの事件があったのにもかかわらずナツキが終わった事件の跡地に居るのはその為だった。
FORTにいるよりも、現場に居た方がビューイングし易いのは言うまでもない。
所長のレイ・プラティエールはナツキに彼を探せと此処へ送った。
…ねぇ、トリスタン。
彼女自身は、彼が嫌いだった。ずっと、彼女がFORTに入って来た時から、ずっと。
…教えて。
大嫌い、と何度彼に向って言っただろう?人殺し、と何度彼を詰っただろう?
…彼は、死んでいる、の―――?
ナツキはもう一度、青白くトリスタンを輝かせた。
「……どうしてお前が、此処に居る?」
「入りなさいよ」
「……どういう風の吹き回しだ?」
雨は未だ止まない。
雨音で消えてしまいそうな会話が、そこにはあった。
「早く、入って。」
そこは街の中心の大きな時計台の傍の教会の前だった。
教会にも時計台の辺りにも、人気は無い。
「質問に答えて貰おうか」
男は――…劉毅は、目の前のナツキを見て驚いていた。
差し出された腕と露出した肩が、増して白く眼に映る。細く小さなその体躯は寒さに震えていた。
「答える必要は無いわ。私はただ任務を遂行しているだけだもの。」
あなたこそ、ナツキは言う。
「今まで何処に行っていたの?」
厳しい口調に劉は目を遣る。
「濡れるぞ」
「答えなさい、劉毅。」
傘が取り付く島も無く、二人の間で揺れていた。一言発する度に言葉の代わりに白く息がくゆる。
「――――死にかかった、それだけだ。」
「…”それだけ”?」
「それより、お前は俺に何か言いに来たんだろう?まさか連れて帰るだけが任務でもあるまい。そもそも瀕死から戻って来たばかりの俺に子守までさせる気かFORTは」
悪態をつき、立ち上がろうとする男の目の前で傘が、飛ぶ。
振り上げられた細い腕は、男に振り下ろされる前にその手で制止される。
「…何の真似だ」
きり、と締め上げる手の力を強くしても少女は何も言わない。
ただ琥珀色の瞳で彼を睨みつけたまま、何も。
それでもその頬に伝うのが雨ではない事位は彼にもはっきりと、分かった。
「…もう一度聞く。何の真似だ?」
「…それ、だけって何…?!」
震える声が響く。
「所長が、ノーラが、アツキが、皆が、っ」それは叫びにも近い、声
「どれだけ心配したと思って、」
緩められた手には赤い絞め痕
――死んでも構わなかった
――死ぬならそれが己の運命
――…違う、か?
男が落ちた傘を拾い上げ、立ち上がる。
「…すまなかった。」
あまりに彼が慣れすぎたのは少女とて分かっていた
否、以前はこの比ではなかった、と。
それが知れるほどに共に過ごしてきただなどとは思おうとはしなくとも。
「…悪かった、だから泣くな」
そっと涙を拭われて少女は俯いていた瞳を上げた。
そして添えられた手に、また己のそれを添える。
…男は静かに、細く小さい少女の冷えた体を、覆うように抱きしめた。
…いっちゃった、のね。
2日後、ホテルの彼の部屋にその姿は無かった。
今頃はアメリカ行きの飛行機の中だろう。
…トリスタン、
あの日ナツキが彼を見つけられたのはやはりそのペンダントのお陰だった。
…彼がまた居なくなっても貴方なら見つけてくれる?
大嫌い、会ったら最初に言おうとしていたその言葉
願わくばもう一度、言えるチャンスが欲しい。
「だいきらい、よ」
机上のメモ用紙には只一言行ってくる、とそれだけ
トリスタンは変わらぬ温度で青く光った。