暫く真面目ちゃんだったのになぁ、とちょっと呟く。
どうやら全く聞こえてはいないらしい。畜生。
溜息を抗議代わりに吐いたら、その人は「幸せ逃げるわよ」とさらりと言ってきた。
アンタに逢ったことが今日一番の不運だ、とは口が裂けても言えなかった。
「久しぶり、久慈君。ちょっと見ない間に随分大きくなったんじゃない?」
にこにこと笑うその人の真意がまったく掴めず、俺は今日二回目の大きな溜息を吐いた。
「高校生は成長が早くて羨ましいな」
「…ねぇ、武田さん、なんで俺をこんな所に引っ張ってきた訳?」
「ユキナさんって呼ばれる方がアタシは嬉しいんだけど」
…頬杖をついてぐだぐだしてみる。ゲーム中短気さの見えた彼女だが、俺のそんな態度はまったく気にしてないらしい。
「…ユキナさん、俺学校あるんだけど」
「大丈夫大丈夫。久慈君なら一日休んだ所でどうってことないから。」
「単位掛かってるんで行って良い?」
「すみません、アタシにはいつもの、この子には…うん、砂糖多めココアで。」
「話聞いてんの?っていうか俺甘いの苦手なんだけど!」
慌ててコーヒーブラックで、と注文を変える。…言ってからしまった、と思った。これでは話を聞く気があるみたいだ。
「久慈君学校は良い訳?良いよね、自分から注文したくらいだし?」
…―――やっぱり。
「――――っ、少しだけ、なら。」
午後の授業まで、後3時間あった。
「美味しいでしょ、このお店。」
運ばれてきたのは美味しそうな香りのブラックコーヒーだった。
濃いコーヒーの良い匂いが、飲んだ後口から鼻に抜けて心地好い。
「ユキナさんの行きつけ?いつものって言ってたけど。」
「アタシも教えて貰っただけ。気に入っちゃって、週3回位来るようになっちゃったんだけどね。」
彼女はなんだか、良く笑うようになったなぁとふと思った。
エデンで会ったときは、こんなに柔らかい人じゃ無かった筈だ。
…それは全部、あの人の、神崎さんの、お陰だろうか。
「久慈君さぁ、好きな子とかいないの?」
さっきまで美味しそうに紅茶…多分、アップルペコ…を飲んでいた彼女がいきなり言った。
「…は…?」
「あの子の事はゲーム中に敗北してたから、違う子見つかったかなぁってお姉さんは心配してたんだよね。」
「全っ然意味分かんないんだけど」
「あれ、直ちゃんに惚れてたじゃない。見てて可哀相な位に。」
…何なんだこの大人、人の古傷を。
「…マジで意味わかんねぇ」
「よく見てたから、最初はまさかねって思ってたんだけど。でも嫉妬まで見え見えだったから可哀相になってきたのよね。」
真面目に黙ってくんないかこの人は。
こくこくと紅茶を飲むその表情に悪びれる感は全くと言って良いほど見えない。
「あのさ、「今日、席替えなんでしょ?」
……え?
「っ、何で知って、」
「狙い目はそうね、今も席が隣のストレートの真面目眼鏡っ子ちゃん?」
ぱくぱくと口を、きっと開けていた気がする。
何この人、エスパー?
「分かりやすい顔するのね久慈君って。エデンの時と変わったんじゃない?」
それはこっちの台詞だと思いながらもぐるぐると頭の中で反芻する。
今日が席替えなのも正しければ、俺が気になってしょうがない彼女の外見的特徴も正確。
「意味、わかんないし」
「これは秘密。アタシ、結構やればできるから。」
謎めいてる。まったく、何で俺はこんなにこの人に翻弄されてんだ?
自ずと出る溜息にすら溜息をつきそうになる。
彼女は相も変わらずにこにこと、とても気楽そうだ。
だんだん苛立ちが募ってくる。
「っつぅかさ、早く本題に入って欲しいんだけど!」
「…あれ、アタシ話す内容があるだなんて一言も言ってないよ?”話したい”って言っただけで。」
「…は、?!」
「そろそろ、かな…」
彼女がちらり、と時計を見た時だった。
からん、と店のドアのベルが鳴る。
入ってきた人物の、その青いマフラーには重なる影があった。
「…あれ、久慈君…ですか?」
「アンタは、仙道、さん…」
何で、とか奇遇だな、とか思うより先に彼女は彼に向って笑いかけて、
「休憩、入りました?」
「えぇ、…やっぱりこの店は落ち着きます。」
…えぇえぇえぇええええええええ!!!!???
何そういう展開マジで?
「久慈君、ありがとう、良い時間を過ごせた。」
耳元でそう囁いてくる彼女の声は心なしか弾んでいる―――様な気がしないでも、無い。
つまりなんですか?俺はアンタの暇つぶし?彼が来るまでの?
軽い怒りにまかせて自分の分の伝票をひっつかもうとして、彼女にそれを抜かれる。
「今日はアタシの奢り。話楽しかったし、高校生は出費が多いだろうしね。」
だから、と彼女は付け足した。
「またね、久慈君。」
またねとは一体どういう事だ畜生。
またあの人に捕まる日が来るのかと思うとちょっとぞっとした。しかも体の良い暇つぶし相手として。
これだから大人は嫌いだこの野郎。
…でも、まぁ良いか、コーヒー、美味しかったし。
席替えはラストのLH。
実は大分彼女とは仲良くなりつつある、俺の誇大評価でなければ。
だからもしもまた隣の席になれたら――――いや、なれなかったとしても。
甘い物は好きだと言っていた彼女を今度この店に誘って
砂糖多めの甘いココアでも奢ろうかと、そう思った。