その少女を愛してしまったのは
俺の罪だろうか
ぱたぱたと、廊下を走る小さな音がする。
こんな小さな足音で廊下を走れるなどという芸当ができる人物はたった一人しか思い至らなかった。
しかし、もう夜も更けた頃である。
普段ならこんな時間にこの足音がすることはあり得ないし、
また自分もこんな時分に出歩いてはいけない、と言っておいた筈であったし、
そして尚且つ彼女はとても素直で自分の言いつけたことを破ったことなど無かったのに。
どうやら今日は月が見事に輝いているらしい。
部屋の前で立ち尽くす幼い少女の姿は、見事に影になって部屋と廊下を仕切る障子に映っていた。
声は掛けるまい、と決めていた。
用があるのなら入ってくるだろうし、大した事ではないのなら別に今でなくとも、と思い直して部屋へ戻るかもしれない。
しかし、思いの外彼女は長くそこに立っていた。
寒さもまだ癒えぬ廊下で、何を迷っているのか少女は微動だにせず立っている。
こちらに向けて何かを言うでも、こちらの気を引くような行動をするでもないままに。
立ち上がって、障子の方へと歩み寄る。
「いつきか?」
影から解り切ったことではあったが、一応問うてみる。
「何故入らない、俺に用があるのだろう」
す、と障子を開ければそこには瞳を赤く、泣き腫らした少女が立っていた。
「こじゅ、ろさ…」
震える少女はぎゅ、と着ている着物の端を握り、こちらを見つめた。
「…入れ、茶でも入れよう。」
そう言えば、少女はこくり、と小さく頷いた。
「少しは落ち着いたか?」
「…んだ…。」
少女はゆっくりと一つ息を吸って、吐いた。
「こんな時間に何があったんだ」
「…」
少女は俯いて答えようとはしない。
「言わねぇつもりか?…俺に話があったんじゃねぇのか。」
「…複雑な、気持ちなんだべ。」
少女は重い口を開くと、消え入りそうな声で言った。
「さっき、政宗に呼ばれて政宗の部屋に、いっただよ。」
何故こんな時間に、とは思った。
「そしたら、いきなり抱きしめられただ。」
そして突然の出来事で、頭が回らない内に。
「口の中が、温かくなって、」
きすを、されているのだと気付いた。
「おら、怖くなっちまって、逃げ出しただ…」
少女は思い出してかたかたと震えていた。
「おら、政宗の事好きだべ。…なのに逃げ出して、もしかしたら政宗に嫌われたかもしんねえ!」
少女は彼の行為より、彼の思いの方に恐怖しているらしい。
そんな事ありえないだろうに。
たとえショックは受けたとして、そんな事で少女の事を嫌いになる位の愛情なら、
態々農民の身の少女をこの城に呼びつけるなどという事をする筈もない。
それは何時もそんな彼――竜の傍に居る自分が、はっきりと証明できる。
…そう、証明できる、のだ。
少女は今、自分の腕の中に収まっている。
「小十郎さは、あったけぇな。」
「お前が冷たかっただけだ。あんな寒い廊下に何時までも立ってたんだからな」
「…小十郎さのお陰で、おら、安心しただ。今回は驚いて逃げちまったけど、次はもう逃げねえ!」
満面の笑みでこちらを見る少女の体は次第に温度を増し、うつらうつらと舟を漕ぎ始めている。
「だっておらはやっぱり、政宗が好き、だもの…」
無防備に自分の胸に体を預けて、少女はその大きな瞳を閉じる。
そんな様子を見て、たまらなく愛しい、と
きりり、とどこかが軋んで痛んだ気がした。
そうしてお前はまた俺をそんな目で見る。
俺ならば大丈夫、と
俺ならば助けてくれるだろう、と。
それがどこまでも甘い考えである事にお前はまだ気付いていない。
なぁ、もしも。
全てに絶望されても構わないから、今俺の腕の中で幸せそうに眠る兎に彼と同じく口付けたなら
今までに築き上げた信頼も情も全て失う代わりに
お前は俺を一介の”男”―――
お前に心底惚れた一人の男として
俺を見て、くれるだろうか。